旧いまここにあるもの

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『ネウロ』電人HAL編を観て思う。

久しぶりにアニメ版『ネウロ』を電人HAL編の本城刹那の回だったの観ました。
やっぱ良い話だと再確認!!。

前々から自分は「死んだ人の事をたとえどれだけ想っていても、生きて日々を過ごすうちに記憶は劣化し不確かなものになっていく、だから死んだ人の事を完璧に覚えている人間なんていない」と考えていた。
そしてその考えを体現してくれたのが『ネウロ』のこの話だった。

1の世界の人間が、Oになってしまった人を想い、1と0の狭間の世界の住人となる。
どれだけ正確に記憶し、どれだけ生きていた頃の科学的データが残っていても、その人を0から作り出す事は出来ない。
そんな当たり前の結論を天才、春川英輔は探求し続けた。
次第に壊れていく本城刹那を前に自らの無力さを痛感し「美化もせず、風化もさせず、1ビットたりとも違わないキミを作ろう」と決意する。
それは自らのプライドと彼女への想い。
だが何十回、何万回、何兆回、計算を繰り返しても答えに辿り着かない。
そして生身の体ではこの計算を続けられないと悟った春川教授は、自らの人格をコンピューターに移植する。
そして、その人格は電人HALと名乗りオリジナルの春川英輔を殺害し、世界中のコンピューターを掌握し答えの出ない計算を繰り返す…。
たとえどんな事をしても成し遂げたい想い。
最後に弥子がHAL(春川)の起こした犯罪を否定しない(出来ない)事も好感が持てる。

そしてHALが削除され、カウントが0になるその刹那に彼女と再会を果たすシーン「私は満足だ…」と言い残すHALの姿は何度観ても鳥肌が立つ。
そこいらの恋人が死ぬだけの薄っぺらいラブストーリーなんか目じゃない!!。

本当に哲学的な話で「電人HAL」編って『ネウロ』からスピンオフして、押井監督とかに映画にしてもらえば恐ろしい傑作が誕生すると思う。
なんなら『攻殻』の世界観でやった方がしっくり来るストーリー。
こんなネタを週間ジャンプで連載している松井優征さんの才能恐るべし!!。