旧いまここにあるもの

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『ヱヴァ:Q』公開から1年が経ちました。

 
ソフト化が早かったんであんまし実感が湧きませんが、早いもんであの衝撃から1年が経ちました。
 
最強の使徒から綾波を助け出しヒロイックに終わった『破』から一転し『旧劇場版』に近い絶望をファンに与えた『Q』。
予想と違う内容に批判する人もいますが、宇多田ヒカルさんにテーマ曲の制作を依頼する中で庵野監督は「あの震災を踏まえて作品を作らなければならない」といった旨の発言をしたらしいので、やはり当初の構想から変化したのでしょうね。
 
どうしようもなく壊れた世界。
そこで戦う人々。
ラストシーンで廃墟の中を歩いて行くシンジ、アスカ、レイの姿に私は希望を感じたのですが、それが庵野監督から今を生きる人々へのメッセージだったのでしょうか?。
 
14年という時間の流れには度肝を抜かれましたが、これまで(特に旧世紀版で)「ダメな奴」というレッテルを張られ下に見られていた碇シンジが我々の気持ちを代弁する存在として観客と最高のシンクロ率を発揮していた事がとても興味深い。
『Q』は完全に碇シンジの視点で進行しており、彼が解らない事はお客さんも解らない。
故に謎が解かれる事もないのですが、初めて碇シンジに共感したという人も多かったのではないでしょうか?。
 
シリーズ初の宇宙戦闘。ミサトさんを含めた登場人物から向けられる冷たい視線。巨大戦艦AAAヴンダーの雄姿。シンジとカヲルくんのイチャイチャタイム。終盤のディザスターシーン。2号機とmark.09のドラゴンボール(笑)。やはり首が飛ぶカヲルくんの末路(鬱)。マリの乳揺れ(えっ?)。
個人的に『Q』もやっぱり面白い。
この気持ちは揺るがない。
 
2006年に企画が発表されてから既に7年が経過。
貞本エヴァ』も終わった事ですし、ちゃっちゃと『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を仕上げて頂きたいのですが、例によって進捗状況が全く見えてきませんね(苦笑)。
 
現状提示された情報から推理する事も出来なくはないのですが、『新劇場版』は幾度となく内容や方向性が変化しているので軽く引っ繰り返されそうで怖い(汗)。
世界が激変した空白の14年という大きな物から、「コード4A」と呼ばれた敵が「Evangelion Mark.04」だったという細かな所まで気になる素材は沢山あるんだけどね。
 
エヴァ8+2号機が戦う予告映像ですら当てにならない事は『破』『Q』で実証されてますし、そもそもあの時点で『シン・エヴァ』の具体的な構想があったかどうかも怪しい…(;一_一)
 
TVシリーズの頃から視聴者の反応や制作現場の状況がダイレクトに反映されて来たのがエヴァであり、その「移り変わるライブ感」もまた本作の魅力なのですが、一方でそれを場当たり的と批判する人の気持ちも痛いほど理解できます。
私自身原理主義者的なエヴァファンですが『Q』の展開を観て予想する虚しさを痛感しました(苦笑)。
 
完結編(というか次で本当に終わるのか?)の公開時期に関しては皆目見当がつきませんが、『旧世紀版』の「時は西暦2015年」という印象的なフレーズに掛けて「2015年公開」にするのが一番ベターかなと私は考えております。
逆に「ここでやらないで何時やるんだ!!」と…。
 
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ファンの間では↑のガンバスターよろしく、ヴンダーの主機となった初号機が『シン・エヴァ』のクライマックスで腕を組みながら登場するなんて冗談話がありますが、旧世紀版「第拾九話 男の戰い」でもゼルエルのコアを引き抜いて初号機がS2機関を取り込むって流れだったのを作画監督本田雄さんが「トップをねらえとかぶる」と捕食表現に変更した経緯があるので、やりかねませんね。
実際『破』ではそれに近い表現に改定されてましたし…。
 
個人的にこれまで言及されなかった年代設定を最後の最後に「時は西暦○○○○年」という形で持ってきて、エンディングに「残酷な天使のテーゼ」を流してくれたら良いなぁ~と妄想しております。