旧いまここにあるもの

Yahoo!ブログ時代のアーカイブ。記事内のリンクが上手く機能しなかったり、タイトルが文字化けしたり、画像のアスペクト比が可笑しいのはダメダメな移行機能の所為。新ブログはこちら→https://imakokoniarumono.hatenablog.com/

PS3移植も決定した『ワンダと巨像』を再プレイしました。

PS3移植の情報とキリンさんの「訛り実況」に感化されて一気に全クリしてしまいました。
 
 
「最後の一撃は、せつない。」
 
この言葉は『ワンダと巨像』のキャッチピーであり、作品をプレイした人が一様に感じる思いを代弁した言葉となっています。
 
眠り続ける少女「モノ」の魂を呼び戻す為、異質な存在「ドルミン」と契約を交わし古の地に住まう16体の巨像を倒すべく旅立つ主人公の「ワンダ」
大切な人を救うという大義名分はある物の、聖域に足を踏み入れ其処に暮らす巨像を殺すという行為はエゴイズム以外の何物でもない。
それらの感情論と道徳観の狭間で巨像の急所に剣を突き立てた時、プレイヤーはこのキャッチコピーの真意に気付くでしょう。
 
ゲームを進めるにつれワンダの体は傷つき全身から生気を失い、その姿はまるで巨像を殺した罪に塗れているとでも言わんばかりに淀んで行きます。
そんな彼がボロボロになりながら16体の巨像を倒し、何を得て、何を失ったのか?。
自分の為にその手を血に染めたワンダの行動をモノはどう思うのか?。
この物語の結末を「ハッピーエンド」と取るか「バットエンド」と取るか、それもまたプレイヤーの判断に委ねられます。
 
近年はゲームであっても映像作品の様に1から10まで緻密な設定が組まれプレイヤーが想像する余地が一切残されていない作品が多いですが、この『ワンダと巨像』は明確な設定を提示せず演出と雰囲気だけで物語を伝えた稀有な作品です。
主人公「ワンダ」と彼が命を賭してまで救おうとした少女「モノ」の関係性ですらその行動でしか語られず、其処に自分なりの設定を加える事が出来る作りとなっています。
 
想像する余地を残しつつ、確固とした世界観を構築したゲームバランスに改めて脱帽。
これ程までに余韻に浸れるゲームも珍しく名作という言葉がピッタリです。
PS3移植版がリリースされた暁には改めてプレイしたいと思います。