旧いまここにあるもの

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日曜洋画劇場 特別企画 「さまよう刃」

先日EUが日本の死刑執行に対し文句を言って来ましたが、ああいった死刑を野蛮だなどと上から目線でいう偽善者たちには反吐が出ます。
賛成・反対以前に人権がどうのこうのと言いますが他人の人権を踏みにじった者に対しどうして人権が必要なのでしょうか?。
偶発的な事故。正当防衛。そういった事であれば解ります。
しかし明確な殺意を持ち、しかも自らの欲望を満たす為に人を殺める様な人間に人権が適用されるのであれば、そういった者達に蹂躙された被害者たちの人権は誰が守ってくれるのか?。
 
私には犯罪者の人権を主張する人間は=殺された人間の人権を蔑ろにしているように見えます。
 
理想を掲げる聖人君子な方々は自分の愛する人が遊び半分で無残にも殺され、捕まった犯人が反省していなかったとして、それでもなお「死刑反対」を叫べるのか?。
それだけの覚悟と信念があるのならば私は文句は言いません。
けどそういった事を考えず、単に薄っぺらい自尊心を満たす為に言っているのであれば恥を知るべきです。
 
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さて前置きが長くなりましたが東野圭吾原作の『さまよう刃』です。
たった1人の家族である最愛の娘が暴行された挙句殺され、生き甲斐を奪われてしまった平凡な父親が犯人の少年達に復讐を行う作品です。
 
よくあるプロットですが観ていて気持ちの良い物語ではありません。
作品の性質上仕方ないのですがステレオタイプな今時の若者像なども差別的で不快です。
 
野蛮でノーテンキな外国映画みたいに犯人一味を皆殺しにしてハッピーエンドで終わる訳もなく、淡々と復讐者となった1人の男の哀しき背中を追い続けます。
そこに被害者ではなく加害者を守る法律への憤りを感じながらも彼を追う若手刑事の視点を交差させながら救いのない結末まで突き進んで行く。
 
復讐は残された者の自己満足であり亡くなった人は望んでないというのも正しい見方なのかもしれませんが誰がその行為を「間違っている」と否定出来るでしょう?。
遺族の救いになる筈の法による厳罰が望めず、ましてや仕事をしない神様の天罰なんて端から期待出来ない。
そんな理不尽が許せるのか?。
 
例によって日本映画。
お利口な展開に終始し「正しい正義なんてない」という当たり前の事実だけを突き付けて幕を閉じ、結果もやもや感しか残りませんでした。
原作は登場人物の心情をもっと深く掘り下げているのでしょうが、こうも端折られると2時間ドラマと大差ないなというのが正直な感想です。