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『劇場版 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer-』 -★★☆☆☆- (ネタバレを含む)

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製作: 2010年 日本
時間: 120分
原作: 矢立肇富野由悠季
監督: 水島精二
脚本: 黒田洋介
音楽: 川井憲次
声の出演:
     宮野真守(刹那・F・セイエイ)
    三木眞一郎ロックオン・ストラトス
    吉野裕行アレルヤ・ハプティズム
    神谷浩史ティエリア・アーデ
    勝地涼デカルト・シャーマン)
    入野自由沙慈・クロスロード
    中村悠一グラハム・エーカー

あらすじ

24世紀初頭、突如として姿を現した私設武装組織「ソレスタルビーイング」。彼らはガンダムによる戦争根絶を掲げ武力介入を開始、一時は組織壊滅の危機を迎えながらも、争いの絶えなかった世界を急変させた。
地球連邦政府の成立。その後の独立治安維持部隊アロウズの専横による戦争状態を経て、武力に頼らない社会を選択するに至った人類だったが、西暦2314年、再び危機が訪れる。130年前に廃船となっていた生体反応の無い木星探査船が地球圏に接近してきた。それは、人類の存亡をかけた戦いの始まりを告げる船だった・・・

予告映像

感想

という訳で『劇場版 機動戦士ガンダム00』でございます。
いやぁ~なんというか色々な意味で呆気に取られましたよ…(苦笑)。
 
この劇場版ではTVシリーズから言われてきた「来たるべき対話」が遂に描かれる訳ですが、大方の予想通りそれは外宇宙からやってきた地球外生命体(劇中では異星体という表現)に対し刹那が脳量子波を使い共存の道を模索するという物でした。
しかし結局の所やってる事は2ndシーズンのラストで刹那がガンダムを使って行った「人と人」の相互理解を劇場版では「人と地球外生命体」に置き換えて描写したに過ぎません。
 
言葉が通じない異質の存在と刹那が対話し理解し合う事で、同族でありながら誤解しすれ違い争い続ける人類へのメッセージとなる訳なのですが、それはちょっと安易な答えではないかと思ってしまいます。
 
しかも初期の頃から何度となく言われてきたこの「来たるべき対話」のシーンが実に抽象的かつ簡略化され過ぎていて見所足り得ていないのも致命的。
(だって最後の対話シーンとかある意味スルーした様なもんですからね)
ここは本来シリーズ全体を通してのクライマックスになる筈なのに「これで終わり?」と思ってしまう程あっけなく、カタルシスなんてこれっぽっちも感じない。
もっと圧倒的なビジュアルで魅せるとか、精神世界で対話するとか、やりようはなかったのだろうか?。
 
展開もなんだか『ガメラ2 レギオン襲来』+『アルマゲドン』+『戦闘妖精雪風』+『トップをねらえ!』を合わせたみたいだったし、金属生命体の表現なんかは『ターミネーター2』+『トランスフォーマー』+『ゴジラVSスペースゴジラ』といった感じで新鮮味は皆無。
序盤から中盤に掛けて徐々に世界の異変を描いていく様は侵略映画の基本を踏襲していてワクワクしたのですが、後半は完全に勢いまかせといった感じ。
「起承」までは良かったけど「転結」で失敗した印象です。
 
見所の一つであるMSの戦闘シーンに関して言うと前半部分はメリハリが効いていてそれなりに楽しめるのですが、後半は『マクロスFイツワリノウタヒメ~』同様動きが速すぎる上に大混戦で何が何だか解らなくなってしまいます。
攻撃力も範囲も完全にスーパーロボットのそれであり、ビームで一掃とかミサイル連射とか一撃一撃がマップ兵器クラスになると、どれだけ派手な事をやっても印象に残らないのでもっと見せ方を工夫して欲しかった。
 
新キャラのデカルトも勝地くんが頑張って演じていたにも関わらず、あっと言う間に取り込まれて出番終了。
余りにも呆気ないので「きっとクライマックスでエルスの代弁者として刹那と対話するんだ!!」と予想していたのですが、本当に出て来ないもんだから驚いた。
初めて確認された純粋種のイノベイターという設定も特に生かされず、専用MAからして手抜き臭いデザインと、
踏んだり蹴ったりな彼の扱いに泣けた。
(正直リボンズに襲われた女の子の方が可愛くてよっぽど印象に残ってますww)。
 
作中、両親の思いを継ぎ地球を守って殉職するアンドレイや、死に場所を見つけトランザムで特攻するミスターブシドーグラハムなど独身男の熱い散り際が描かれる一方、コーラサワーを始めとするリア充共はみんな生き残る展開にも疑問を感じます。
守る者・帰る場所があるからって一様に戦場から生還して良いのでしょうか?。
艦やMSはボロボロなのに主要キャラは上記の2名以外死なないのでギリギリの戦闘をしているという危機感が伝わって来ない上に御都合主義が鼻に付きます。
TVシリーズであれだけ殺しておいて、ここにきて自重する意味が解りません。
別に殺したから良いと言う訳ではありませんが、戦争を描いている割にはその悲壮感が伝わって来ませんでした。
 
ラストシーンでマリナが待つ地球に刹那と共に帰還したガンダムが花に包まれるシーンは、TVシリーズキービジュアルに酷似した幻想的で美しいシーンとなっており作品を締め括るには申し分ないと思います。
ここ以外にも要所要所で唸らせるシーンもあるのですが1期&2期同様、クライマックスが近付くと突然勇み足になり最後の最後でとっちらかってしまっていたのが非常に残念。
せっかくの完結編なのだから脚本をもっと煮詰めて削る所は確り削り大事な部分は丁寧に描いていけばもっと完成度は上がり、新たなガンダムのスタンダードに成り得たかもしれないのに本当に勿体ない。
 
別に私は1st至上主義者って訳じゃありませんし『Gガン』や『SEED』(無印)なんかも肯定的にとらえているのですが、悲しい事に本作を観て初めて「これガンダムでやる必要なくね?」と思ってしまいました。
確かにTVシリーズで扱った問題はガンダムでやる必然性がありましたが、劇場版のテーマはむしろ『マクロス』の領分になってしまっています。
私は其処に「ガンダムじゃなきゃ出来ない!!」という説得力が欲しかった。
人気シリーズであるが故のマンネリ化を打破するべく新たな試みに果敢に挑んだスタッフのチャレンジ精神は評価しますが、4クール+劇場版を使い西暦という現実の年号と地球外生命体という半ば禁じ手ともいえる要素を絡ませてまでこの話をやる意義が果たしてあったのだろうか?。
そんな方向性へシフトする位ならTVシリーズのテーマを更に突き詰め人と人の対話をもっと描くべきではなかったのか?。
そう感じてしまいました。
 
なんだかんだ言って私は『ガンダム00』に今までのガンダムシリーズにはない新しい事をやってくれるという期待感があったのだと思います。
それこそ宇宙世紀至上主義者の価値観を覆す様な革新という名の結末を用意していると心のどこかで考えていました。
勝手に想像を膨らませた私にも責任があるのですが、この思いが報われなかった事がただただ残念です。
 
改めて思うけどTVシリーズって必要だったのかな?。