旧いまここにあるもの

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フィクションにおいて何故「悪」は魅力的なのか。

最近のアニメ・マンガ・映画においてのピカレスク作品の増加に、ふとこんな事を思った。

現実世界での「悪」の象徴ってのは、大体は神様の教えを自分に都合の良い方向に捻じ曲げて狂信者を煽るどうしようもなくチープで救いようの無い人間達の事ですが、
フィクションにおいて登場する「悪」の象徴は時にヒーローよりも魅力的に見えてしまう。

とあるサイトで「映画作品で好きなキャラクターは?」と募集した所、上位を占めたのはそうそうたる名悪役達だったそうだ。
なるほど、確かに私にとっても印象的な映画キャラクターの殆どが悪役だ。
逆に正義の味方で好きなキャラクターは?と聞かれても正直出てこない。

魅力的な悪役に当てはまる要素と言えば、私的には「自分の行いに迷いが無く、ある種の信念や自分なりのルール・正義に則って行動する、余裕を持ったキャラクター」である。
これらの要素+監督の演出+上質な脚本+役者の力量が化学反応を起こした結果、フィクションにおける「悪」のカリスマが誕生する。
最近だと『ダークナイト』のジョーカーとかね。

現実においては「私は正義だ」と主張する大量殺人者や、信念や道理も無くただ「死にたい」と言う理由で無差別に人を傷付ける人間ばかり。
それに比べて、自らの存在理由・行いを自覚し。求める結果に向け「悪」の道を行く彼等は、とても魅力的なカリスマに映る。

言うまでも無い事だが、彼等に感化されて現実世界でマネしちゃダメ!!。
またどっかのバカ共に規制の口実を与える事になっちゃいますからね~(笑)。