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『アバター』IMAX 3D・日本語吹き替え版(2009年) -★☆☆☆☆-

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原題 AVATAR
製作 2009年 アメリ
時間 162分
監督 ジェームズ・キャメロン
脚本 ジェームズ・キャメロン
音楽 ジェームズ・ホーナー
出演 サム・ワーシントン(ジェイク・サリー)
   ゾーイ・サルダナ(ネイティリ)
   シガーニー・ウィーヴァー(グレース・オーガスティン)
   スティーヴン・ラング(マイルズ・クオリッチ大佐)
   ミシェル・ロドリゲス(トゥルーディ・チャコン)
   ジョヴァンニ・リビシ(パーカー・セルフリッジ)
   ジョエル・デヴィッド・ムーア(ノーム・スペルマン)
   CCH・パウンダー(モアト)
   ウェス・ステューディ(エイトゥカン)
   ラズ・アロンソ(ツーテイ)

あらすじ

海兵隊員で下半身不随のジェイクは死んだ兄に代わり「アバター・プログラム」への参加を要請され、地球から遠く離れた未開の衛星「パンドラ」を訪れる。
このプログラムは「パンドラ」に住む原住民「ナヴィ」と人間の遺伝子から作り出された肉体を用いて、彼らとの間に友好関係を築くと共にこの惑星を探索するという目的の下に行われていた。

仮初の肉体で再び大地を踏み風を感じるジェイクはやがて、ネイティリと言う「ナヴィ」の女性と恋に落ちる。
「ナヴィの肉体」でいる時に感じる解放感と「本来の肉体」に戻ると共に生じる閉塞感。
まるで「夢」と「現実」が入れ替わった様に「ナヴィ」の生活にこの上ない充実感を感じ始めていた。

だが夢の様な時間も終わりを告げ「ナヴィ」の住む森に眠る鉱物資源を狙い人間達が侵攻を始める。
人とナヴィの間で揺れ動くるジェイクにどちらと共に闘うか決断の時が迫る…。

予告映像


3D感想

人生で初めて3D映画と言う物を体験したのですが予想以上に飛び出していて驚きました。
ただ人間の慣れとは恐ろしい物で、意識して観たのは最初の30分だけで後は時折「おっ」と感じる程度に…。
見え方としては冗談抜きに『小学○年生』などに付いていた「赤青メガネ」のカラー版なのですが、相変わらず細かな凹凸や丸み等の部分までは表現出来ておらず、背景に至っては飛び出す絵本の様に平面な絵を等間隔に置いた様にしか見えないシーンも多々ありました。

宣伝では3Dで観る事で「そこにいる感覚を味わえる」等と謳っていますが、ハッキリ言ってそこまで凄い物じゃない。
勿論観るなら3Dでの観賞をオススメしますし楽しい事は楽しいのですが、この技術によって作品自体のクオリティや評価が上がる事はありません。
それとこれとは別問題です。

本編感想

各国の観客に絶賛され映画史上最大のヒット作タイタニックを抜かんばかりの勢いで現在興行収入を伸ばしている超話題作アバター
押井守監督に「10年かけても追いつけない」と言わせ、スピルバーグからは「映画『スター・ウォーズ』以来、最もとんでもなくすごいSF映画だ!」と絶賛された本作だが、観終わった後に私の感じた率直な感想は「そこまで言う程の物か?」だった。

確かに映像技術は素晴らしいと思うが、正直今のハリウッドなら金とスタッフを集めればこれ位の物は作れて当たり前みたいな空気が流れている気がする。
この日本ですら『FFⅩⅢ』の様な映像が作れてしまう中、最新のCGだけを売りにしても私の様な観客はたいして感動しない。
こういった「最新技術の塊」みたいな作品でも、最後に物を言うのはやはり練り込まれた「脚本」「演出」「魅力的な登場人物」とそれを引き出す「役者の演技」といった普遍的な物なのではないのだろうか?。

見所の一つである誰も見た事のない未開の星パンドラも、古くからアニメ・マンガ・ゲームで異世界に慣れ親しんで来た身としては何処かで見た様な風景の連続で特に新鮮だとは感じない。
勿論、実写映画(最早CG映画だが)でやった事は意義深いと思うが、それ以上の感動はハッキリ言って無い。

本来魅力的でなければいけないメインの登場人物は人類・ナヴィとも一様にバックボーンが弱く行動も単純明快なら思考も短絡的。
とにかく提示されている情報以上に深みを持ったキャラクターは皆無で、そういった部分がきちんとしていないから最後まで感情移入する事が出来なかった。

ストーリーも「異星の先住民を追い出して鉱物資源を搾取しようとする欲深い人間と、先住民と交流を持った心清らかな人間が彼等と共に立ち上がり戦う」というだけの話で、ネイティブアメリカンやインディアンと言った先住民への弾圧や資源の搾取というテーマは様々なメディアで古くから取り上げられている問題なのだが、本作のあまりに芸が無い描写には呆れるばかりだ。

物語の大半は自然と共生するナヴィの視点で描かれ、それを否定し攻撃を仕掛ける物欲に塗れた人類がこれでもかと醜悪に描かれる。
人類側にも「荒廃した地球に資源を届ける」等と言った"らしい"目的を持たせてやれば良い物を、ただただ金の為にナヴィの村を攻撃する姿は紛れもなく悪党そのものだった。
キャメロンはそういった人間達の事が余程嫌いなのだろうが、クライマックスでそんな人間共を次々とぶっ殺して行く「やられたら、やり返してOK」的な御決まりの展開にも私は辟易してしまった。

ナヴィとの交流も言ってしまえばCGを使った異世界ウルルン滞在記』なだけだし、クライマックスの決戦もこれといった目新しいアクションもなく何処か古めかしい装備で固めた人類VS地の利と物量で迎え撃つナヴィ達のどこかで観た様な図式でしかない。
しかも最後は「んな馬鹿な!!」と驚愕する様なメルヘンかつご都合主義な展開で決着が付いてしまうのだから驚きである。

最新CG技術を駆使した豪華過ぎる映像の反面、ディズニーアニメみたいなド・ストレートな筋立ては何とも言えないアンバランスさがあり、そういった意味でも本作は映像のみの一点豪華主義作品になっている。
映画に上質な脚本や舌を巻く名演を求める人は、本作にそういった物を期待してはいけない。
単純に2時間半の映像アトラクションを楽しむ気持ちで観るのが正解だろう。